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シリーズ8作目の本作では志村喬が演じる博の父が再登場し、寅さんとの共演シーンで圧倒的な存在感を発揮します。
また、物語冒頭でのさくらが「かあさんの歌」を歌う場面は、倍賞千恵子の歌唱力の高さとも相まって、シリーズ中でも屈指の名シーンです。
あらすじ
博の母が危篤との報せで博、さくらは岡山へ急いだ。葬式の後、博の父・一郎を励まし戻ってきた寅さんだったが、逆に一郎に家庭を持つ人間らしい生活をするようにと諭された。秋も深まり、とらやへ近くのコーヒー店主人・貴子が挨拶に来た。その日、偶然寅さんが帰ってきて、皆の予想通りに貴子に心を奪われる。貴子には小学校3年生で学校に馴染めない息子がいたが、寅さんの出現ですっかり明るくなった。貴子の感謝で寅さんの思募はますます高まったが、寅さんは潮時を考え、荷物をまとめて出ていった。(C)1971 松竹株式会社〜Amazonプライム作品紹介より引用
という事ですが、このあらすじには描かれていない前半のシーンにも大きな見どころがあります。
マドンナ:池内淳子
本作のマドンナは池内淳子さん、当時38歳。
和服の似合う上品な美しさと抜群の演技力でテレビドラマの女王だった池内さんは、東京の下町、墨田区両国のご出身。高校卒業後、日本橋三越の呉服売り場で働いていたとのことで、「すごくキレイな販売員がいる!」と評判だったそうです。
本作中では和装・洋装どちらの姿も見せてくれています。もちろんどちらも大変素敵ではありますが、やはり和服の方がよりお似合いだと思います。立ち姿や所作が本当にお美しい。
円熟したからこそ醸し出せる大人の女性の色気が上品に漂ってくるようで、非常に良いです。おいちゃんが最初に会った時に腰を抜かすくらいの”いい女”です。
映画のみどころ
さくらの歌
久しぶりに帰ってきた寅さんは、おいちゃん達とのちょっとしたすれ違いに腹を立て、「ぷいっ」とどこかへ行ってしまいます。
その夜、夕飯を終えてくつろいでいるとらやに、日暮里の焼き鳥屋で再会したという昔のテキ屋仲間を引き連れ、寅さんが上機嫌で帰ってきます。
昔の仲間に良い格好をしようと、「おい酒を出せ」「さくら、なにか歌え」と威張り散らす寅さん。
「芸者じゃねぇんだから、そんなことする必要ねえ!!」と怒り出すおいちゃんを制して、さくらが歌い始めるのは「かあさんの歌」
これがですね。めちゃめちゃ上手いわけです。
そして、歌いながら泣き始めるわけです。
つまり、さくらが泣きそうになるのをこらえながら、めちゃめちゃ上手に「かあさんの歌」を歌い始めるんですが、これがかなり涙を誘います。
これを聞いて、最初は囃し立てんばかりに盛り上がっていた寅さんたちも、打って変わって水を打ったように静まりかえってしまいます。
そして自分の行いを反省した寅さんは、さくらに「すまなかったな」と言い残し、また旅に出てしまいます。
寅さんの粗相
博のお母さんが亡くなり、岡山の実家で弔問客による焼香が行われているところへ、なんと寅さんがいつものあの格好でやってきます。
「その格好もう少しなんとかしてきてよ!」と怒るさくらに対してどこ吹く風といった感じの寅さん。
近所の人から燕尾服を借り、親族側として葬儀に参加することになりますが、、、いつものように失礼なことをしてしまいます。
なかでも強烈なのが、埋葬後の記念撮影の場でカメラマンとなったときに「はい、笑って〜」と声をかけるシーン。
さらにそれが不適切だと指摘されると今度は「はい、泣いて〜」と声をかけ、火に油を注いでしまいます。
さくらの気持ちを考えると、体中から変な汗が出てきそうですが、非常にコミカルで笑ってしまうシーンです。
志村喬×渥美清
大学教授である博の父を演じているのは、名優の誉れ高い志村喬さん。今回はたっぷり登場して寅さんとも絡みます。
博の父は絵に描いたような堅物という設定ですが、なんというか志村喬さんは、「その人物を演じている」というよりも、「本物のその人物がそこにいる」といった感じでリアリティーがすごいです。
かたや寅さんはいい加減な方の代表選手みたいなもので、しかし、水と油のように見えるその二人が意外と相性が良いんですね。
一緒に仲良く夕飯の買い物に行くシーンがまたすごく良いんですけど、家族ではない遠い存在の寅さんとだからこそ、自然にそういったふれあいができるのだろうなと考えると切ないです。博の父は本当は寂しい人なのじゃないかと思います。
寅さんシリーズ通してみても、レギュラー出演者に比べてゲストの方は良くも悪くもどこかやはり「お客様感」が出るように感じますが、志村喬さんに関してはそれは全くありません。ずっと昔から物語の世界で生きてきた人物だと思わせる強い説得力があります。
そんな二人が揃ってスクリーンに映し出されるシーンはどれも甲乙つけがたく、ぜひとも多くの人に観てほしいなと思います。
当たり前の幸せ
博の父から「温かい家庭を持つことこそが人間の本当の幸せ」と諭された寅さんがとらやに帰ってきて、夕食の席上それについて皆に語ります。
しかし、寅さんの熱弁にも関わらずおいちゃんやおばちゃんには今ひとつピンときません。「明るい電灯の下で家族揃って晩御飯を食べるのは当たり前じゃないか」というわけです。
今ひとつ賛同を得られないことに寅さんは憤慨します。
しかしそうではなくて、おいちゃんやおばちゃんにしてみれば、そんなことは毎日の生活の中に普通にあることで、殊更それが幸せだとか考えるようなことではないのです。
結局は、「隣の芝生は青く見える」ということで、ないものねだりが人間の悲しい性なのでしょうか。
散々探し回った幸せの青い鳥は、実は自分の家にいたという寓話の示すとおり、幸せというものはもうすでに手の届くところにあるものなのかもしれないと考えさせられました。
キーワード
ドルショック
おいちゃんとタコ社長が寅さんの前でとぼけるシーンのセリフで出てくる「ドルショック」とは、、
1971年にアメリカのニクソン大統領が、突然「金とドルの交換停止」を発表した事によって起こった世界的な情勢の変化と経済の混乱とのことで、別名「ニクソン・ショック」とも呼ばれます。
これにより各国はそれまでの固定為替相場制を維持することができず、次第に変動為替相場制に移行していきます。
日本も1973年に変動為替相場制に移行し、それまで1ドル=360円で固定されていた為替レートはまたたく間に円高になり、日本の貿易に大きな影響を与えました。
そして翌1974年の第一次オイルショックにとどめを刺されるような形で、戦後日本の高度経済成長時代は終わりを告げたのです。
竜胆の花
博の父が寅さんに、「人間の本当の生活とは、幸せとは、こういったものじゃないかね」と語る時に引き合いに出されるのがこの竜胆(りんどう)の花。
竜胆は日本の関東から西の本州、四国、九州に自生し、その根は苦く、薬の原材料として使用されます。
また、竜胆の花言葉は「I love you best when you are sad」
直訳すると「悲しんでいるあなたを愛する」ということになりますが、少し意訳すると「辛いときこそ、あなたの側に居たい」と解釈することもできそうです。
人間の幸せとは、時に苦く、良いことばかりではないけれども、気がつけばそこにあるような、ありふれたものである。
ということの暗喩として、竜胆の花が用いられているように思えてなりません。
感想
僕は「男はつらいよ」シリーズの中でもこの8作目が大好きで、今までに何度も観ています。上でご紹介した他にも見どころはたくさんあり、また観るたびに新しい発見があります。
一番好きなシーンをあげるとしたら、やっぱりさくらが「かあさんの歌」を歌うシーンです。あのシーンには「男はつらいよ」という作品の核とでも言うべきものがギュッと凝縮されていると思います。
さくらは歌いながら、一体何を思い浮かべていたのでしょうか?
幼い頃に亡くなった産みの母の面影でしょうか?または実の子供のように育ててくれたおばちゃんの事でしょうか?あるいははっきりとした対象を持たない、ぼんやりとした温かい愛情のようなものを思っていたのかもしれません。
そう考えると切ないですね。
一方の寅さんはどうでしょうか?
赤ん坊の自分を捨てた産みの母、お菊さんのことが少しは頭をよぎったでしょう。しかしそれよりも、夫の不義の子である自分を受け入れてくれた、さくらの産みの母である光子さんのことの方を思い出していたに違いありません。
けれどもやはり、あの「かあさんの歌」を聴きながら寅さんが一番強く思ったのは、妹のさくらのことだったろうと僕は思います。
この世でたった一人、半分だけ血を分けた存在。誰よりも自分に対しての愛情を持っていてくれる女性。いつか立派な兄になって喜ばせてやりたいと願っているけれど、うらはらに心配ばかりかけている大切な妹。
寅さんにとってのさくらは、単に妹というだけでなく、ときに母でもあり、また恋人のようでもあり、また帰るべき場所の象徴でもあるのです。
だからやっぱり、「男はつらいよ」シリーズを通してのヒロイン(マドンナではなく)は寅さんの妹、さくらだと僕は思います。
みなさんはどうでしょうか?