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美しく上品な大人のマドンナが登場するシリーズ第6作目、面白おかしいおなじみの展開の中には様々な形の「家族の愛」が描かれていて、ふと考えさせられるストーリーです。
マドンナには上品な色気のある若尾文子を迎え、若き宮本信子や比較的若い森繁久彌がゲストで出演しスクリーンを彩ります。
さくらの夫、博の独立問題やタコ社長の自宅公開などのレア要素もあり、寅さんファンならば必ず見ておきたい作品です。
あらすじ
長崎で出戻り女とその父の愛情あるやりとりを聞いた寅さんは、故郷の柴又が恋しくなった。その頃とらやでは、遠い親戚で和服の似合う美人・夕子が下宿していた。そこへ寅さんが帰ってきて、夕子に一目惚れする。一方、博の独立問題で博と社長・梅太郎がそれぞれ寅さんに相談したから大変、話がこんがらがって大騒ぎ。結局、博は元のサヤに納まるが、寅さんのお熱は日増しに上がっていく。しかし、別居中の夕子の夫が訪ねてきて、はかない恋に終止符が打たれた。(C)1971 松竹株式会社
マドンナ:若尾文子
本作のマドンナの若尾文子さんは当時38歳。
とてもお美しいです。上品でありながらも、10代や20代には醸し出すことのできない大人の色気を仄かに漂わせています。
寅さんが好きになってしまうのも無理はありません。惚れっぽい寅さんならずとも、あんな人が身近にあらわれたら、きっと誰だって好意を持ってしまうでしょう。
映画のみどころ
宮本信子
物語の冒頭で寅さんが出会う、幼子を連れて実家に帰ろうとしている若い母親を宮本信子さんが演じています。当時26歳。
すでに伊丹十三さんと結婚しており、本作公開翌年にはご長男を出産されます。
夫のDVに嫌気が差して家を飛び出してきた若い女性の脆さ、危うさのような雰囲気があり、見ているこちらも「なんとかしてあげなくては」という気持ちにさせられます。
森繁久彌
その宮本信子さん演じる子連れの若い女性の父親を演じているのが森繁久彌さんです。
森繁さんは当時58歳。まだ還暦前でトレードマークともいえる白いヒゲもありません。
物心ついた頃にはすでに「森繁=ヒゲ=おじいさん」というイメージがあったので、新鮮であり「まだ若い」という印象を受けました。
登場しただけでそのキャラクターがどんな人物かわかる存在感はさすがです。
寅さんが男前
と言っても、全編通して男前なわけではありません。
しかし物語の序盤、宮本信子さん演じる若い母親に救いの手を差し伸べる辺りの寅さんは痺れるくらいに男前でカッコいいです。
このカッコよさと、マドンナに骨抜きにされる情けなさを全く自然に同居させることができるのが、渥美清さんの凄みなのだと感じます。
梅太郎(タコ社長)の自宅
本作では、博が独立して自分の印刷工場を持とうと画策するくだりが物語のひとつの柱になっています。
大黒柱の博がいなくなってしまうと困るのは工場の社長の梅太郎(タコ社長)で、なんとか独立を思いとどまらせてはくれないかと寅さんを自宅に招いて泣きつきます。
その時に描き出される梅太郎の自宅は、まあいわゆる「社長」と聞いて想像するような華やかさとはまるで対極にある粗末さで、夫婦と子供三人で暮らすには足の踏み場もないような狭い居住空間です。
梅太郎がどんな人物で、どんな思いでもってあの印刷工場を経営しているのかが一発でよく分かる名シーンだと思います。
マドンナがいい人
寅さんが好きになってしまうマドンナにはいろいろなタイプがあります。
まず一番多いのが、寅さんの気持ちに気がつかず結果的に深く傷つけてしまうタイプ。この代表例は第一作目のマドンナである午前様の娘です。
幼馴染の悪ガキだった「寅ちゃん」が、まさか自分に好意以上のものを持っているとは露ほどにも思っていない、今風に言うならば自己肯定感が強いといわれるようなキャラクターです。
次に、少数派ではありますが寅さんの気持ちに気がついていながら、若干それを自分の利益のために都合よく利用しようとするタイプもいます。
これの代表的なのは5作目のマドンナである浦安の豆腐屋の娘です。小悪魔的といえば可愛らしいけれど、人の不幸の上に自分の幸せを築き上げても構わないと考える若干サイコパシーなマドンナ。
そして上記2例のどちらにも属さない第3極として、寅さんの恋心を認識して、しかしその気持には応えることができないことに心を痛める良識的なマドンナがいます。本作のマドンナはまさしくこの「良識派マドンナ」に属しています。
年齢的にも十分に大人ということもあるのでしょうが、結果的に自分が寅さんの心を弄ぶようなことをしてしまっていることへのジレンマに悩む姿や、「その恋は不毛なのだ」ということを、なんとかして寅さんに悟らせよう試みる姿勢は非常に好感がもてます。
キーワード
圭子の夢は夜ひらく
「十五、十六、十七と〜」と、本作の中で寅さんが折に触れて口ずさんでいるのが「圭子の夢は夜ひらく」という1970年の大ヒット曲です。
歌っていたのは藤圭子さんで、10週連続オリコン1位を記録して年末の紅白にも出場します。本作の封切りは1971年の1月ですから、前の年を象徴するヒット曲として人々の記憶にも鮮明に残っていたことでしょう。
辛かったらいつでも帰ってきてね
「辛かったらいつでも帰ってきてね」
いつものように失恋し旅立つ寅さんを、柴又駅で見送るシーンでのさくらのセリフです。
僕はこのセリフを聞いてすごくあたたかい気持ちになりました。
人生のなかで、結婚・独立・進学といった次のステップに進むために挑戦する機会が誰にでも訪れるかと思いますが、必ずしもうまくいくとは限りません。
その時に「帰ることができる場所がある」と思えたら、どれだけ救われることか。寅さんの人生において、さくらの存在の大きさは計り知れない物があると実感させられます。
感想
本作には、離れて暮らす親子や上手くいかない夫婦など様々な形の「家族の愛」が登場します。それは与えて許すばかりの愛ではなく、ときには愛ゆえに生まれる憎しみもあり、一筋縄ではありません。
しかし最終的に家族の愛とはは「辛かったらいつでも帰ってきてね」というさくらのセリフが代弁しているように、受容するということなのかなと思いました。
自分以外の何者かになる必要がなく、そのままの自分を受け入れてくれる居場所、それこそが血を分けた家族なんじゃないでしょうか。