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記念すべき「寅さん」の映画第一作目を久しぶりに観ました。
あらすじ
中学の時に家出し、テキヤ稼業で全国を渡り歩く寅さんは、たった一人の妹・さくらが柴又のおいちゃん夫婦に世話になっていると聞いて懐かしの故郷へ。さくらの縁談話にひと肌脱ごうと張り切るが、何もかもぶち壊し。いたたまれなく奈良へ旅に出ると、御前様の娘・冬子に声をかけられ一目惚れしてまた柴又へ。帰ると隣りの印刷工場職人・博がさくらと交際させてくれと寅さんに迫る。そして二人の結婚。しかし、寅さんの冬子への想いは叶わぬ夢だった。(C)1969 松竹株式会社 〜Amazon Prime作品紹介より
ご存じの方も多いかと思いますが、実は「男はつらいよ」はもともとはフジテレビ系列のテレビドラマとして制作されたものでして、なんとその最終回で寅さんが南の島でハブに噛まれて死んでしまいます。
その結末に視聴者から抗議の電話が殺到し、それを受ける形で作られたのがこの第1作目の映画です。
製作・配給の松竹は当初「テレビドラマの映画化なんてできるか!」と難色を示していたそうですが、まさかそれが映画史上に燦然と輝く名シリーズになるとは思いもよらなかったことでしょう。
正しく「瓢箪から駒」といった感じですね。
マドンナ:光本幸子
記念すべき映画第1作目のマドンナは光本幸子さんです。
帝釈天の住職である御前様の娘であり、寅さんの幼馴染である「坪内冬子」を演じる光本幸子さんは東京出身、幼い頃から藤間流の日本舞踊を習っており名取の腕前です。
1955年、12歳のときに明治座の舞台で子役としてデビュー、映画初出演となった本作は26歳の時の作品です。
お寺の娘さんという役柄もあるのでしょうが本当に和服がよくお似合いで、ひとつひとつの所作も美しく、凛とした和風美人といった感じのマドンナです。
映画のみどころ
その後に続く「男はつらいよ」シリーズの魅力が凝縮されているのがこの第1作目ですので、みどころは「全部」といって間違いないのですが、その中でも特筆すべき点を2つ挙げたいと思います。
出演者が皆若い
出演者の皆さんがそれはもう若いです。
以下の表は主な出演者の本作品上映当時の年齢ですが、、
渥美清:寅さん(1928年生) | 41歳 |
倍賞千恵子:さくら(1941年生) | 28歳 |
前田吟:博(1944年生) | 25歳 |
太宰久雄:タコ社長(1923年生) | 46歳 |
三崎千恵子:おばちゃん(1920年生) | 49歳 |
森川信:おいちゃん(1929年生) | 57歳 |
笠智衆:御前様(1904年生) | 65歳 |
志村喬:博の父(1905年生) | 64歳 |
佐藤蛾次郎:源公(1944年生) | 25歳 |
光本幸子:冬子(1943年生) | 26歳 |
皆さん若いですね。ちなみに監督の山田洋次さんもこの当時38歳(1931年生)です。
新郎の父の挨拶
本作ではさくらと博が結婚するわけですが、その披露宴での新郎の父(志村喬)の挨拶が泣かせてくれます。
博は高校生のときにグレて家出してしまい、両親とは8年ぶりの再会です。
当初は寅さんも「子供のことを理解しない父親」と断じて敵愾心を隠そうとしませんでしたが、新郎の父の感動的な挨拶を聞いて「クルッ」と鮮やかに手のひらを返します。
このシーンは必見です。名優の誉高い志村喬の演技をぜひその目に焼き付けて頂きたい。
キーワード
改めてこの映画を鑑賞して気がついたこと、気になったキーワードをいくつかご紹介したいと思います。
予備知識として頭に入れておくと、より深く作品を楽しめるはずです。
矢切の渡し
物語冒頭で寅さんが帰郷するシーンで乗ってくる渡し船が「矢切の渡し」です。
この矢切の渡しは千葉県松戸市と東京都葛飾区柴又を結んで江戸川を横断する渡し船で、なんと現在でも運行されています。
ちなみに当時と現在の運賃を比べてみると、、
1969年当時 | 大人30円 | 小人20円 |
現在 | 中学生以上
200円 |
4歳〜小学生
100円 |
となっています。
値段もさることながら、本作品上映当時の「大人・小人」という非常にざっくりした分類に時代を感じます。
庚申の縁日
経栄山題経寺、通称:柴又帝釈天では、1779年に行った本堂改築の際に長らく所在不明であった板本尊が見つかります。
それがちょうど60日に一度の庚申の日だったことから、庚申の縁日が行われるようになりました。
そしてその庚申の縁日の日に20年ぶりに寅さんが故郷の柴又に帰ってくるわけですが、帝釈天のご本尊が帰ってきた日に主役もまた帰ってくるとは、なんとも心憎い演出ではありませんか。
キーパンチャー
寅さんの妹のさくらは、都内の一流企業「オリエンタル電気」でキーパンチャーとして働いています。
キーパンチャーとはコンピューターで処理するためのデータを入力する仕事で、今では余り聞くことのない職種ですが1980年代まではこの仕事をしている人がたくさんいました。
すいかの名産地
作中で博の同僚の印刷工の若者たちが歌っているのがこの「すいかの名産地」という歌ですが、これはアメリカ民謡の「Old MacDonald Had a Farm(邦題:ゆかいな牧場)」を原曲とした日本の歌です。
英語の原曲をに日本語に翻訳したのは高田三九三という作詞家で、この曲の他にも「メリーさんのひつじ」や「ロンドン橋」といった曲の訳も手掛けています。
妹背の契り
博とさくらの結婚式での神主の祝詞の一節にこの「妹背の契り」という言葉が出てきます。
現代風に言うと「妹」は彼女「背」は彼氏を表しており、つまり「妹背の契り」とは夫婦になるということです。
、、、少し脱線しますが、二葉亭四迷の「浮雲」に「今一言の言葉の関を、 踰 ( こ ) えれば先は 妹背山 ( いもせやま )」という一節がありますが、僕はその部分の調子が大好きでして、日本語特有の非常に美しい言い回しだなとあらためて感じました。
感想
本作を観るのは数度目になりますが、観るたびに新しい発見があり、自分が年を重ねるに従ってより深い楽しみ方ができるようになる作品です。
1969年の作品と聞くとすごく昔の映画のように感じますが、実際に見てみるとちっとも古臭くないなく、むしろ新鮮でさえあります。
まだ観たことがない人にはぜひ見てほしい作品です。アマゾンプライムの無料体験を申し込めば無料で観ることができます。
作品詳細ページはこちら→「男はつらいよ」
追記
本作の重要なシーン、さくらと博の結婚披露宴の舞台となった柴又の老舗料亭「川甚」が、コロナ禍による経営難のため令和3年1月末日をもって閉店することとなりました。
1790年創業、江戸時代から続く川魚料理の名店がその歴史に幕を下ろしてしまうことは非常に残念でなりません。