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休日を利用し、かねてより興味を持っていた「東海道を歩く」小旅行をしてきました。
真夏の猛暑日でしたが、非常に楽しい体験でした。
きっかけ
随分前から「旧街道を歩いてみたい」と漠然と考えていましたが、今回実行に移すきっかけは岡本かの子の短編「東海道五十三次」を読み直したことでした。
この「東海道五十三次」は短編集「老妓抄」に収録されており、東海道の魅力に魅せられた人々の姿を一組の夫婦を通して描いた作品です。
若い頃はあまり興味を持てませんでしたが、今読んでみると非常に味わい深く感じます。
「老妓抄」は僕の20年来の愛読本で久しぶりに読み返したところ、「東海道五十三次」が今の気分に絶妙にフィットして、「よし、東海道を歩いてみようか」ということになりました。
事前準備
こちらの「人力」というサイトを参考にさせていただいて計画を立てました。
手始めとして日本橋から品川までならば道も簡単ですし、都内だからコンビニもたくさんあるはずでそれほど難しく考えなくても大丈夫かなと。
事前準備としてやったことといえば、出かける前日にルート沿いの名所旧跡で寄ってみたい場所をいくつかピックアップして、Google Mapで自分用のマップを作っておいたくらいです。
道順
スタートの日本橋から今回のゴールである浜川橋までは11.6km、途中で見ておきたいポイントとして選んだのは以下のとおりです。
- 日本橋:スタート
- 歌川広重住居跡
- 江戸歌舞伎発祥の地
- 増上寺
- 田町薩摩邸跡地
- 泉岳寺
- 品川寺
- 浜川橋:ゴール
スタートの日本橋は東京メトロの日本橋駅、ゴールの浜川橋は京浜急行の立会川駅が最寄り駅となります。
持ち物
今回、妻に声をかけたら珍しく乗ってきたので二人旅となり、持ち物も二人分でした。体力差を考慮して荷物は僕が持ち、妻には手ぶらで歩いてもらいます。
とはいうものの、飲み物や食べ物は現地調達できますので、持っていったのは目的地にゴールしてから帰宅する際に必要になりそうな着替えくらいのもので、あとは普段持ち歩いているものとほとんど変わりませんでした。
これを先日購入したグレゴリーのバックパック「Raven18」に詰め込んで出発しました。 グレゴリー レイブン18レビュー【GREGORY RAVEN18】通勤OKのランニング用バックパック
服装
僕は普段走るときと同じくユニクロの半袖短パンで靴だけはランニングシューズでなくKEENのJasperを履いて歩きました。
妻は薄手のジャージの長ズボンに半袖のTシャツ、その上に薄手の長袖パーカーを羽織って歩いていました。
本人曰く、日焼けすると体へのダメージが大きいので半袖でなくて正解だったようです。
道中の様子
なるべく早い時間にスタートしたほうが良いだろうということで、7時頃に家を出てスタート地点の日本橋には8時半過ぎに到着しました。
日本橋
まずはスタート地点の日本橋へ、地下鉄の日本橋駅から歩いてすぐでした。
日本橋の欄干には麒麟がいます。
さて、ここからひたすら下っていきますが、朝早いしお盆休みということもあってか人はまばら。
歌川広重住居跡
日本橋からスタートして程なく最初のポイント「歌川広重住居跡」に到着しましたが、工事中で非常にわかりにくかったです。
「このあたりなんだけどなー」としばらく探してやっと見つけましたが、、壁に覆われており、本物(といっても記念碑ですが)は見ることができず。残念でした。
江戸歌舞伎発祥の地
「元祖猿若中村勘三郎」と書いてあります。歌舞伎について詳しくなくとも中村勘三郎の名前は知っています。
次のポイント増上寺まではしばらく距離がありました。
その間にもいくつかの旧跡を確認。
明治初期の大火事のあとにレンガ造りの町並みになったことについての記念碑「煉瓦銀座の碑」。
「銀座」から「新橋」に変わるころ、通りの雰囲気もずいぶん変わってきました。もう少しで増上寺です。
増上寺
増上寺の大門までやってきました。朝早いにも関わらず、参詣に向かう人がちらほら。
背後にそびえる東京タワーとのセットで非常に絵になります。夜景がさぞきれいなことでしょう。
ちなみにこの右手の方には無数のお地蔵さんがありました。
田町薩摩藩邸跡地
またしばらく歩いて次のポイント田町薩摩邸跡地に着きましたが、なんと歌川広重住居跡に続いてここも工事中でした。
江戸の当時、この屋敷の裏はすぐに砂浜だったそうで、このあたりは今でも海が近いせいか時折潮の香りがします。
日本橋から約5km、スタートから2時間少し歩いたのでJR田町駅前のルノアールで少し休憩。
涼しい店内で熱くなっている体を少し冷やします。アイスコーヒーが美味しい。
ルノアールはお客さんの年齢層も高く、店内は落ち着いた雰囲気で身も心も休まりました。
さあ次は泉岳寺。
泉岳寺
忠臣蔵で有名な浅野内匠頭や赤穂浪士のお墓があることで有名な泉岳寺。少し前に開業した高輪ゲートウェイ駅の近くにあります。
今回訪れるのを楽しみにしていたポイントです。
本堂。若いお坊さんがなにやらありがたいお話をしている最中でした。
忠臣蔵関係者の墓所もお参りさせてもらいました。
大石内蔵助の銅像。
短い参道には数件の土産物屋さんもあり、家紋入りの湯呑などが売られていてちょっと欲しくなりましたが、まだしばらく歩かなければならないのでぐっと我慢します。
品川駅を越え、JRの線路を渡ったあたりで細い脇道、旧東海道に入っていきます。
入り組んでいるのでややわかりにくかったですが、それっぽい雰囲気がプンプン漂っていたので迷わずに進めました。
このあたりからかつての品川宿です。
車がやっとすれ違えるほどの道路沿いには隙間なく住居や商店が立ち並び、旧跡もところどころにたくさん残されています。
古くて風情のある建物も多く興味が尽きません。
しかし、この辺りで疲れが出てきてせっかくの町並みを楽しむ余裕が無くなりはじめました。
スタートしたころは全く感じなかったバックパックの重みが蓄積したのか肩が痛い。
ちょうど昼頃だったのでどこか適当なところで昼食でもと考えていましたが、お盆だからなのかコロナだからなのか閉まっている店のほうが多く、休む事ができません。
それでも僕はまだ平気でしたが、妻の方は流石に辛そうです。
品川寺
そんなこんなで二人とも無口になりながらひたすら歩いていると、最後のポイントの品川寺(ほんせんじ)付近に到着。
中に入って見物する余裕はなかったので写真だけ撮らせてもらいます。
品川で最古のお寺だそうで、9世紀初頭に弘法大師空海によって開かれ、その後15世紀に太田道灌が伽藍を建立したという、筋金入りの古刹です。
お参りするのを楽しみにしていたので素通りするのは心残りでしたが、またの機会の楽しみにとっておきます。
さあ、もう少しで今日のゴールの浜川橋です。
浜川橋
青物横丁を過ぎ、鮫洲を過ぎ、しばらく歩いて浜川橋に到着。
浜川橋、別名「泪橋」。
この先の鈴ヶ森刑場に送られる罪人が、見送りに来た親族と最後の別れを惜しんだとされる悲しい由来のある旧跡です。
最寄りの京急立会川駅のトイレで着替えて帰宅。
ガーミンで記録していたので振り返ってみると、歩いた距離14.4km、時間は3時間でした。
感想
とにかく楽しかったです。
真夏の猛暑日で確かに暑さは厳しかったけど、テレビや本を読んであれこれ想像しているよりも自分で歩くほうが何倍も楽しいです。
反省
計画が適当だった
都内を歩くので「コンビニも店もあるし、なんとかなるだろう」と適当に考えていましたが、後半になると疲れてきて辛くなるので、もう少しちゃんと考えておくべきだったと思います。
ここまで来たらあと何キロ、といった目安がつくようにしておくと辛くなったときの心の支えになると思います。
「あと少しって言うけど、全然少しじゃないじゃん」と妻に怒られました。
荷物は少なく
二人分の着替えをバックパックに詰めて行ったのですが、歩きはじめは平気でも後半になると肩が痛くなりました。
荷物はもっと削って行くべきでしたね。
まとめ
楽しかったのでまた行きます。次回は品川宿から川崎宿までの予定です。
妻は今回だいぶ辛そうだったので次も来てくれるかどうかわかりませんが、ほとぼりが冷めた頃に誘ってみようと思っています。
【追記】続きです! 東海道を歩く〜その2〜品川宿から川崎宿