【映画レビュー】続 男はつらいよ(第2作)1969年・松竹

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「男はつらいよ」のシリーズ第2作目には水戸黄門で馴染みのあるあの俳優さんが登場します。

あらすじ

恩師・坪内先生を訪ねてすっかり意気投合の寅さんは、どんちゃん騒ぎで腹痛をおこして入院する始末。そんな寅さんは先生の愛娘・夏子に看病されたことからすっかりゾッコン。でも病院を抜け出し喧嘩騒ぎまで起こして、やむなく柴又から京都へ。そこで夏子と再会し、一緒に付き添われて生みの母・菊に会いに行くが、冷たい再会で無惨にも打ち砕かれた。その想いを夏子への恋で忘れようとするが、坪内先生の突然の死・・・。そしてその葬儀の席で夏子と医者・藤村との親密な関係を見てしまう。(C)1969 松竹株式会社 〜Amazonプライム作品紹介より

映画第2作目となる「続 男はつらいよ」は第1作目と同じく1969年公開の作品です。

前作が1969年8月公開、そして本作が1969年11月の公開ということは、、その間なんと3ヶ月!今ではちょっと考えられないペースで製作された作品でした。

マドンナ:佐藤オリエ

本作品のマドンナは佐藤オリエさん、寅さんの学生時代の恩師「散歩先生」の娘役を演じています。当時26歳。弾けるような笑顔が眩しい、知的な美しさのある女優さんです。

1966年に大ヒットしたドラマ「若者たち」に出演して人気となり、この「男はつらいよ」シリーズにもTV版、映画版ともに同じ役柄で出演しています。

映画のみどころ

第1作目とそれにつづく第2作目である本作は、ベースになるテレビドラマ版の設定を引き継いでいる描写が数多くあります。

それらのポイントを押さえておくことが、シリーズを通した作品の世界をより理解するためにも役立ちますし、また本作品の見どころであるといえるでしょう。

寅さんの産みの母が登場

本作には寅さんの産みの母であるお菊が登場します。

お菊さんは京都の連れ込み旅館の経営者として登場しますが、元々東京で芸者をしておりその頃に車平造(寅さんの父)との間にできたの寅さんです。

このお菊さんを演じるのは昭和を代表する漫才師、ミヤコ蝶々さんです。一癖も二癖もあるこのキャラクターを見事に演じています。

長年離れ離れだった母子の再会と聞くと湿っぽいものを想像しがちですがそうはさせず、からりとほろ苦く、最後のオチではスッキリした後味の笑いをプレゼントしてくれます。

東野英治郎

私と同年代の人には「初代水戸黄門」といったほうが通りが良いかもしれません。

昭和のモンスタードラマ水戸黄門(最高視聴率43.7%)で主人公の水戸光圀公を足掛け14年にわたって演じていたのがこの東野英治郎さんです。顔をクシャクシャにして大笑いする、じゃがいもみたいな顔をしたおじいさんを覚えている人も多いのではないでしょうか?

その東野英治郎さんは本作で寅さんの恩師である散歩先生を演じており、非常にいい味が出ています。時々寅さんを「コラッ!」と叱りつけるのですが、それがなんとも温かい感じでほっこりします。

源公が舎弟

帝釈天の寺男としてお馴染みの源公が本作では寅さんの舎弟として登場し、旅先へも一緒にくっついて行きます。

このあたりの設定は作品によって使い分けられているようで、そのあたりも気をつけて見てみると面白いですね。

ちなみに源公を演じる佐藤蛾次郎さんは当時25歳、当たり前なのですが非常に若いです。まだアフロヘアーにもしておらず、余計に若く見えます。そしてよく見ると可愛い顔をされてますね。

山崎努がかっこいい

本作のマドンナを最終的に奪っていく医者の役で登場するのが山崎努さんです。

山崎努さんも当時33歳、若い。そしてすごくかっこいい。

山崎努さんは千葉県松戸市の出身ということで「男はつらいよ」の舞台である柴又は目と鼻の先なのでほぼ地元ですね。

キーワード

さて、本作品のなかでもいくつか気になるキーワードが出てきましたので調べてみました。

作品をより深く理解するためのに役立つはずです。

散歩先生は逍遥へのオマージュ

寅さんの恩師である散歩先生のフルネームは「坪内散歩」ですが、これは明治の小説家、坪内逍遥へのオマージュです。

「逍遥」というのは「ぶらぶら歩く」ことを意味しているので、つまり「散歩」ですね。要するに名前をもじっているわけです。

坪内逍遥は、

小説を美術(芸術)として発展させるために、江戸時代の勧善懲悪の物語を否定し、小説はまず人情を描くべきで、世態風俗の描写がこれに次ぐと論じた。この心理的写実主義によって日本の近代文学の誕生に大きく貢献した。〜wikipediaより

と評価されていますので、「男はつらいよ」という人情喜劇に先生役として登場してくるというのも、非常によくつながっているなと感心させられます。

金町中央病院

散歩先生の家でごちそうを食べ過ぎた寅さんが入院するのが金町中央病院ですが、この病院は現存しています。→金町中央病院HP

病院の解説が1960年ということなので、本作上映当時にはすでに開業して診療を行っていたことになりますが、本作の撮影が行われたかどうかは不明です。

本田警察署

寅さんが無銭飲食及び暴行容疑で捕まるのが本田警察署です。「ほんでんけいさつしょ」と読みます。

「ほんだ」ではなく「ほんでん」と読むところがポイントで、その昔現在の葛飾区西部が「本田」と言う地名だったことから名付けられました。

本田警察署は1946年に葛飾警察署(現在の亀有警察署)から分離する形で設立され、現在でも運営されていますが、残念ながら2002年に呼称が変わり、現在では葛飾警察署となっています。

住民の方からすると「葛飾」という呼び名のほうが親しみがあるということらしいですが、なんとなく残念な気もします。

丸仁

散歩先生に「うなぎが食べたい」と言われた寅さんが「そんなの丸仁に頼めばすぐに持ってきてくれる」と返す場面で登場するこの「丸仁」ですが、現在でも営業を続けています。

当時はうなぎの蒲焼や丼ものなども提供していたようですが、現在では佃煮屋さんとして営業しているようです。→柴又丸仁HP

江戸川のうなぎ

劇中の寅さんのセリフで「今は江戸川も汚くなってうなぎなんか捕れない」というものがあったので調べてみたところ、作品当時の江戸川は流域人口の増加に伴う生活排水によって汚染され、うなぎなどの川魚が釣れる環境ではなかったようです。

しかし1990年代からの河川浄化の取り組みによって、今では天然のうなぎがとれるくらいまでになりました。寅さんが知ったら喜びそうです。

諏訪満男、登場

諏訪満男とはさくらの息子、つまり寅さんの甥になるわけですが、本作品から登場します。

しかし演じているのは後年の作品にも登場する吉岡秀隆さんではなく、”中村はやと”という俳優さんです。

この中村はやとさんは実は子役でもなんでもなく、当時の撮影所があった大船の商店街の電気屋さんの子供だったそうで、「撮影でも泣かないから」という理由で急遽満男役に抜擢されたというエピソードを持っています。

本作から26作目まで(9作目のみ不出演)満男役を務めますが中学進学を期に降板、その後はご存知吉岡秀隆さんがバトンを引き継ぐことになりました。

感想

第1作目が非常に寅さん的様式で美しく整えられた物語なので、正直な感想としてはそれに比べるとやや物足りない感はありました。

しかし見どころは数多くありまして、寅さんが図らずも無銭飲食をしてしまう焼肉屋の様子であったり、母親に会いに行く京都の連れ込み旅館の様子であったりは当時の風俗文化を知る上でも非常に興味深いシーンです。

、、、それから、これまたとても失礼な話なんですけど、、、

マドンナの佐藤オリエさんはとても魅力的な方だとは思うのですが、個人的にあまり好みのタイプでないというのも今ひとつ盛り上がらなかった要因かもしれません。

しかし寅さんフリークとしては押さえておくべき作品ですので、興味のある方にはぜひ見ていただきたいと思います。

作品詳細ページはこちら→続・男はつらいよ

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